Q.4 以前から活動場所はかわらずにつづいているのですか?
トッカビが、1974年10月に長屋の一角を借りたことは、
Q.1でふれました。
しかし長屋での活動期間は短く、
翌年には、部落解放安中子ども会(以下、安中子ども会)が使用していた
プレハブの建物に活動場所を移すことができたのです。
その建物は、
安中青少年会館が建設されるまで
安中子ども会が使用していた仮設物で、
1975年春に青少年会館が完成したので不用になったのです。
トッカビは、ぜひともその場所を使わせてほしいと八尾市にかけあいました。
しかし、単なる子ども会に市の建物を貸すことはできない、
と拒否されました。
そこで、安中地区教育を守る会の中に、
民族部会を設置してもらい、
民族部会の活動をトッカビが担うことととして位置づけ、
そのプレハブ建物が使用できることになったのです。
そのプレハブは安中解放会館の敷地内に建てられていました。
ところが、1980年、安中解放会館の拡張工事にともなって、
プレハブの撤去を八尾市から通告されます。
それに対し、部落解放同盟安中支部(以下、安中支部)やさまざまな団体などの協力もあり、
同年12月20日の八尾市との交渉の席で、
「民族教育の行政責任」と「移転後の施設保障」を確認することができました。
その結果、翌'81年には、安中青少年会館横に、
施設面においては不十分ながらも100平米ほど広くなった
プレハブが建てられ、夏から活動をスタートすることになったのです。
このプレハブで、22年間活動しました。